○下田原天満宮
現在の立会氏神住吉社が立てられるまでは、上田原城の「住吉神社」、下田原の「天満宮」が、それぞれの氏神社だったと考えられる。
西田原村が上田原・下田原に分離した前後に、両村民が同一祖神を祀る同族員たることを示すものとして、立会氏神住吉社を建立したものと考えられる。
真言宗で、山号を遍照山という。田原小学校発祥の地。
境内入口に「耳なし地蔵」が祀られている。高さは30センチぐらい、年代を究めることは難しいが、室町か江戸初期のものであろう。耳病全快を祈る信者は、今も多い。
仏法山と号して、融通大念仏宗。
田原村民の治病医学の本尊として、信仰を集めた700年間の鎌倉仏、薬師如来。薬師信仰の盛んな所、そこは地高く、空気美しくて水清く、近くに薬草多しという。
戦国争乱記に生きた当地武士団の墓地に始まると伝えられる。田原城主、田原対馬守の位牌を祀る月泉寺の前身は、真言宗千光寺であった。
月泉寺は曹洞宗。
磐船神社の分祀と伝えられる。祭神は海の神、住吉四神。上下田原村民の氏神。
境内に安置されている岩風呂は、花崗岩で、一見古墳時代の石棺のように見えるが、浄身用の浴槽である。使用の際には、別器で湯を沸かし、ここに汲み入れて入浴したという。大阪府の史跡記念物である。
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この石風呂は、約700年前に花崗岩でつくられたものです。一見古墳時代の石棺かと思われますが、底部に排水穴があることやその形体などから浄身用の石風呂であると考えられています。府内でも数少ない貴重な考古資料です。 |
| 交通◆京阪バス森山停留所下車すぐ | |
天の川、上流をなす自然河水を周囲に廻らすこの田原城は標高差30メートルの丘陵で、井戸切り掘りを残し、矢の石、的場、土居、門口などの城郭名を今に伝え、典型的な中世城郭の遺構を彷彿させてくれる。
八の坪と通称。城郭内に住吉神を祀る。
かつては、奥に埋め墓、手前が建て墓の「両墓制」であったが、現在は「照湧野田共同墓地」として、改装されている。
初七日供養から33回忌までを供養とする「十三仏」があり、四條畷市に合計7基ある内のひとつで、十三仏の数では自治体としては日本一。
又、墓地は四條畷市内に28か所もあって、墓地ごとに六石六地蔵あるいは一石六地蔵がある。
人は前世の号によって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の六道を輪廻するという。この六道世界での苦しみを軽減すべく、死後の守り神として六地蔵を祀るのである。