四條畷市の民話

雁塔[がんとう]物語
雁と猟師(9.2k) 戦国時代初冬の文明年間という時代のことです。ある冬の初め、一人の猟師が雌の[がん]を射止めました。ところが不思議なことに首がどこにも見当たりません。おかしなこともあるものだなと思いながら、それも日がたつうちにいつしか忘れていきました。
 そして春も近づいたある日、猟師は再び一羽の雁を射止めました。拾い上げてみると痩せ衰えた雄の雁で、翼の下になんと雁の首を抱えているではありませんか。
 猟師は冬の初めに射とめた首のない雌雁のことを思い出しました。この二羽は夫婦だったのか…。俺の矢に倒れた雌雁の首を翼の下で温め続け、こんなに痩せ衰えるまで悲しみ続けてきたにちがいない。その雄雁まで手にかけるとは…!
 猟師は雁の夫婦の情愛の深さに身もだえして泣き崩れました。それから弓矢を折って仏門に入り、小さな菩提石[ぼだいせき]を立て、線香や花を絶やさなかったといいます。
 これを伝え聞いた里人の篤志者[とくししゃ]がこの美しい夫婦愛を伝え残そうと、寛延[かんえん]四年(1754)、牌石[ばいせき]に建てなおしました。
 これが現在、市消防署北側の空き地に祀られている雁塚[がんづか]です。高さ72センチ、幅62センチほどの牌型石塔[ばいがたせきとう]の正面に、「鴈塔」、右側面にいわれを記した165文字の漢字が刻まれています。

舎利吹観音[しゃりふきかんのん]
音羽と観音堂(10.2k) 弥勒寺[みろくじ]には30センチ余りの観音さまがいらっしゃいます。他の観音さまと違うのは、お顔に点々と舎利[しゃり]が吹き出していることです。(舎利とはお釈迦さまの骨、転じて米つぶのこと)。この由来について弥勒寺には150字ほどの巻物が残されています。それによると…
 江戸時代の中ごろ、音羽という名の、それは美しい娘がおりました。村一番の器量よしと評判の高いこの娘を、両親は宝物のように大事に育てておりました。ところが不運にも、娘は流行り病の疱瘡にかかってしまい、美しい顔は見るも無残な傷跡におおわれてしまいました。
 悲嘆に暮れた娘と両親は弥勒寺の観音堂にお籠りして必死に祈願しました。そして満願の十日目の夜明け、夢うつつの両親の目に写ったのは、もとどおりの美しい顔にもどった娘の姿でした。
 親子はたいそう喜び、早速観音さまにお礼を申し上げようとお顔を見上げてびっくり仰天しました。観音さまのお顔には一夜にして舎利が吹き出していたのです。
 観音さまはわが身を持って親子の祈りに応えられたのでした。これを聞いた村人は、誰言うともなく「舎利吹観音」と呼ぶようになり、以来、慈悲深き観音菩薩として信仰を集めるようになったといいます。

権現滝[ごんげんのたき]
祈る行基(11.4k) 奈良時代の有名なお坊さまに行基[ぎょうき]という方がいらっしゃいます。諸国をめぐって稲作のための溜池をつくったことで知られる高僧です。
 ある夏のこと。当地では日照りが続き、村をあげて雨乞いしても一塊の雲も呼ぶことができませんでした。そこへ通りかかった行基は里人を救おうと滝壷に衣を敷き、「雨降らせたまえ」と祈願すると、これに感応した一龍王が、一老翁となって姿を現し、「我!民を救わん」と言うと忽ち消えて、あら不思議、一天にわかにかき曇り、たちまち大粒の雨が大地に降りそそぎ始めたのです。
 この滝、これよりだれ言うとなく権現の滝と呼ばれるようになりました。
 恵みの雨が上がって山のかなたを見晴らした里人は、頭と胴と尾の三つにちぎれて木にかかっている龍を見出したのでした。龍はわが身を裂いてまで民衆の苦しみを救ったのでしょうか。人々は頭の落ちたところに龍光寺[りゅうこうじ]、胴体のところに龍間寺[たつまでら]、尾のところに龍尾寺[りゅうびじ]を建て、竜王の霊を弔いました。